さて、マーシャル・マクルーハンという人物を紹介しましょう。
「人間の拡張」。これがマクルーハンの主張のひとつです。
わたしたちは有史以来、さまざまな道具を使うことで文明を発展させてきました。
木の棒1つ取ってもそうでしょう。なぜ人類は木の棒を手に取ったのか。
それはおそらく、「手では届かない距離の場所に触れる」ためです。そうやって木の実を手に入れていたのではないでしょうか。
そこから、自分では切ったり割ったりできないものをなんとかするために刃物が生まれ、それこそマインクラフトの世界のように、つくることのできるものを増やしていったと筆者は考えます。
さて、これらは「手の機能の拡張」です。素手ではできないことを道具に委ねて解決するという形です。
さらに時を進めて、車輪の発明もそうかもしれません。自分たちでは重くて運べないものを、道具で解決しています。
そしてもっと時代が進み、自動車は「足の拡張」でしょう。ラジオは「耳の拡張」、テレビは「目の拡張」と考えることができます。人間の身体そのものではできないことを、道具という外部機能を使うことで解決してきたのです。
ハッブル宇宙望遠鏡は、まさに目の拡張のさらに拡張のような道具でしょう。肉眼では絶対に見えないような世界に、文明によって人類は到達したのです。
マクルーハンはこのように述べています。
われわれの肉体的ストレスの大半が、ものを蓄えたり動かしたりする機能の拡張を求める起因だと解釈されているが、これはまた、ことばを話したり、金を蓄えたり、ものを書いたりすることにもあてはまる。あらゆる種類の用具はこの肉体のストレスに、肉体の拡張という方法によって応じたものだ。
<引用:M.マクルーハン「メディア論」みすず書房 p185>
言い変えれば「作業のストレスから逃れるため、手抜きのために道具を発明した」とも取れるのかもしれません。
ただ、マクルーハンの論はそこにとどまりません。