ともに輝きを作る。 bryza

Column / コラム

HOME > コラム > ものづくり > 人はなぜ「ものづくり」をするのか〜マーシャル・マクルーハンの衝撃の主張

ものづくり

人はなぜ「ものづくり」をするのか〜マーシャル・マクルーハンの衝撃の主張

人間の文明はどんどん進み、いまや徒歩では行けなかった場所にも自動車で辿り着くことができますし、遠く離れた場所の出来事もラジオやテレビで見聞きすることができるようになりました。

自動車、ラジオ、テレビ。はたまた、斧やくわ。

これらに共通するものは何だと思いますか?

「道具」であることには違いありませんが、これらは全て、私たちの足を長くし、耳を良くし、目を良くし、手を鋭い刃物にするという共通点があります。

あらゆる工業製品を「人間の機能を拡張するもの」という視点から捉えていた、カナダ出身の文明批評家マーシャル・マクルーハンという人がいます。

そして、著書の中でも1987年に出版された「メディア論」は世界に衝撃を与え、今でも多くの研究者の対象になっています。

いったい、どのようなものでしょうか。

果てしなく遠い世界の音が聞こえ、目に見える時代

2022年にNASAが「ブラックホールの音」を公開し、話題になりました。*1

ちょっと怖いような蠢く低音、という印象を筆者は受けましたが、実際には、人間の耳に聞こえるように調整された音です。

そもそも宇宙は真空空間ですので音は伝わりにくいのですが、ブラックホールから放出された圧力波が銀河団の高温ガスに波紋を広げたものを捉え、人間の耳に聞こえるように57オクターブ高い音に変換されたものです。

また、NASAが1990年に打ち上げたハッブル宇宙望遠鏡は、息を呑むような美しい宇宙空間や銀河の様子を日々私たちに届けてくれています。


ハッブル宇宙望遠鏡がとらえた棒渦巻銀河「NGC 1672」
ESA/Hubble & NASA, O. Fox, L. Jenkins, S. Van Dyk, A. Filippenko, J. Lee and the PHANGS-HST Team, D. de Martin (ESA/Hubble), M. Zamani (ESA/Hubble)
https://science.nasa.gov/missions/hubble/hubble-captures-a-galaxy-with-many-lights/

上の写真は、ハッブル宇宙望遠鏡が捉えた地球から4,900万光年離れた渦巻銀河「NGC 1672」の姿です。

1光年は約9兆4,600億キロメートルですから、この銀河までの距離は4万兆キロメートル以上、つまり4京キロメートルより先の景色を、私たちはこの望遠鏡を通じて見ているわけです。裸眼どころの話ではありません。

しかし私たちは文明によってこの銀河の姿を見ることができるようになったのです。

「人間を拡張する」とは?

さて、マーシャル・マクルーハンという人物を紹介しましょう。

「人間の拡張」。これがマクルーハンの主張のひとつです。

わたしたちは有史以来、さまざまな道具を使うことで文明を発展させてきました。
木の棒1つ取ってもそうでしょう。なぜ人類は木の棒を手に取ったのか。

それはおそらく、「手では届かない距離の場所に触れる」ためです。そうやって木の実を手に入れていたのではないでしょうか。

そこから、自分では切ったり割ったりできないものをなんとかするために刃物が生まれ、それこそマインクラフトの世界のように、つくることのできるものを増やしていったと筆者は考えます。

さて、これらは「手の機能の拡張」です。素手ではできないことを道具に委ねて解決するという形です。

さらに時を進めて、車輪の発明もそうかもしれません。自分たちでは重くて運べないものを、道具で解決しています。

そしてもっと時代が進み、自動車は「足の拡張」でしょう。ラジオは「耳の拡張」、テレビは「目の拡張」と考えることができます。人間の身体そのものではできないことを、道具という外部機能を使うことで解決してきたのです。

ハッブル宇宙望遠鏡は、まさに目の拡張のさらに拡張のような道具でしょう。肉眼では絶対に見えないような世界に、文明によって人類は到達したのです。

マクルーハンはこのように述べています。

われわれの肉体的ストレスの大半が、ものを蓄えたり動かしたりする機能の拡張を求める起因だと解釈されているが、これはまた、ことばを話したり、金を蓄えたり、ものを書いたりすることにもあてはまる。あらゆる種類の用具はこの肉体のストレスに、肉体の拡張という方法によって応じたものだ。
<引用:M.マクルーハン「メディア論」みすず書房 p185>

言い変えれば「作業のストレスから逃れるため、手抜きのために道具を発明した」とも取れるのかもしれません。
ただ、マクルーハンの論はそこにとどまりません。

ホットかクールか

マクルーハンは、こうしたあらゆる道具を「メディア」と呼び、「メディアはメッセージである」という言葉を残しています。

この言葉の真意はいまだ研究の対象として様々な意見がありますが、もうひとつマクルーハンが主張しているのは、メディアには「ホットな(熱い)メディア」「クールな(冷たい)メディア」が存在するということです。

「熱いメディア」とは単一の感覚を「高精細度」(high definition)で拡張するメディアのことである。「高精細度」とはデータを十分に満たされた状態のことだ。写真は視覚的に「高精細度」である。漫画が「低精細度」(low definition)なのは、視覚情報があまり与えられていないからだ。(中略)一方、熱いメディアは受容者によって補充ないし補完されるところがあまりない。
<引用:M.マクルーハン「メディア論」みすず書房 p23、太字は筆者加筆>

すこし難解な言い回しではありますが、ここでいう「メディア」とは、いわゆる新聞や雑誌、テレビなどのことではなく「わたしたちがつくってきた文明品」全体を指します。
そして話を整理すると、

「熱いメディア」=メディアそのものが熱いため、使う人の参加度を下げ、使う人は熱くなりにくい
「冷たいメディア」=メディアが冷たいため、使う人の参加度が上げ、使う人を熱くさせる

というのがマクルーハンの主張です。

興味がないのにダラダラとテレビを見ている時間よりも、同じ時間をオンラインゲームで過ごしたほうが人に満足感を与えるでしょう。ゲームはユーザーの参加度が高く、人を熱くさせるからです。

同じように電話とビデオ通話の違いについていえば、電話というのは相手の声しか聞こえませんので、使う人は「相手はどんな顔をしているのかな」「どのようなシチュエーションで今会話しているのかな」と想像をめぐらせることができます。

しかし、ビデオ通話ではそのような想像はあまり働きません。相手の表情、居場所などが見え、イマジネーションを働かせる必要性は電話より大幅に減ります。

さて、ものをつくるとき。
どちらが買い手にとって魅力的でしょうか?

「冷たいメディア」は人を夢中にさせます。こうしたものづくりは、やはり愛されるのではないでしょうか。

AIと人間機能

さて、現代ではAIが台頭してきました。

人間よりもはるかに高い計算能力を持ち、インプットされた情報をもとに一定の判断もできるAIとは、人間機能の何を拡張する存在でしょうか。

人間の頭脳、と言っても良いかもしれませんが、しかし、それは本当でしょうか?

確かに、計算とは面倒なものです。それを人間の外部に委託した、それがコンピューターでありAIでしょう。

ただこれらこそ、「冷たいメディア」つまりユーザーが積極的に関与するものであるべきではないでしょうか。頭脳を放置するようなものだからです。使い方によっては、人間の判断力を弱めるものになりかねないのは、ディープフェイクを見てもわかる通りです。

よく「AIの暴走はあるか」といった論を目にしますが、「今この機械ではどんな演算が行われているのだろう」「どんな順序で計算をしているんだろう」と、扱う人間が「熱い」状態でいなければ、ただ眺めるだけの存在になってしまいます。

中身には興味なし、結果さえわかればいい、というイマジネーションのない状態のままAIと接するならば、「AIの暴走」は起こり得るのではないかと筆者は感じています。

清水 沙矢香(しみず さやか)

2002年京都大学理学部卒業後、TBSに主に報道記者として勤務。社会部記者として事件・事故、テクノロジー、経済部記者として各種市場・産業など幅広く取材、その後フリー。取材経験や各種統計の分析を元に多数メディアに寄稿中。

Column 一覧に戻る