今やロボットは工場だけでなく、家庭やオフィスなどさまざまな場所に入り込んでいます。
私たちはいたるところにロボットがいる世界へと向かっているのです。*2
では、人間とロボットの関係をどのように捉えればいいのでしょうか。
ダーリング博士はThe conferenceでのスピーチで、次のようなエピソードを紹介しています。*5
先述の「ボストン・ダイナミクス」は人間や動物のような形をした軍用ロボットを作っています。
その1つ、スポットという名前の、犬に似たロボットの動画が公開されました。
その動画の中では、1人の男性が思い切りスポットを蹴飛ばします。スポットはよろけながらも体勢を持ち直し前進しますが、しばらくしてもう1人の男性がもっと強くスポットを蹴りました。
それはスポットの安全性を示すためです。
ところが、多くの人がこの動画に対して非常にネガティブな感情を抱き、SNSなどに非難の投稿をしました。
それだけではありません。動物愛護団体のPETAに電話が殺到したため、PETAは声明を出さなければなりませんでした。本物の犬ではないのに、です。
もう1つ、興味深いエピソードがあります。
ダーリング博士が行ったワークショップの様子です。*2
同博士の探求心に火をつけた、あの赤ちゃん恐竜ロボットPLEOの出来事から数年後、ダーリング博士はワークショップを開きました。
まず、PLEOを5体用意して、5つのグループに1体ずつ渡し、名前を付けて1時間くらい遊んでもらいました。
それから、ハンマーと斧を出して、それを使ってPLEOを痛めつけて殺すように言いました。
ところが、誰もPLEOを叩こうとしません。
それで、「他のチームのロボットを壊せば、自分のチームのロボットは壊さなくていいです」と言ってプッシュしましたが、それに従う人もいませんでした。
最後には 「誰かが斧を手に取って、どれか1つに振り下ろさなければ、ロボットをみんな壊します」 と伝えました。
それでようやく1人が立ち上がって、斧をロボットの首に振り下ろしました。その瞬間、部屋にいた人は全員ギクッとして、妙な沈黙が訪れたというのです。
ダーリング博士は、その後、可愛らしいロボットではなく、昆虫のように動き回る「HEXBUG」というロボットを潰してもらう実験をしましたが、その場合にも、共感力の強い人ほど HEXBUGを潰すことにためらいを感じることが分かりました。
人間がロボットを生き物のように扱うのはなぜでしょうか。
それは、「生物学的に、人間は自律的に動くものに対して意思や生命を見ようとするようにできているからだ」とダーリング博士は説明します。
ならば、人間はロボットとどのような関係性を構築すればいいのでしょうか。
ものごとを知覚し、自律的に決断し、学ぶことのできるロボットに対して、最善のアナロジーとなるのは動物との関係ではないか―これがダーリング博士の主張です。*2
数千年前に人類は動物を家畜化するようになりました。そして、労働や戦争のために使い、遊び相手として飼い慣らしてきました。
ただし、どの動物に対しても思いやりをもって扱ってきたわけではありません。
人間は、社会的あるいは文化的な理由で、あるいは可愛らしいという理由から、ある動物は尊重したり愛したりしています。*6
しかしその一方、まったく同じ能力をもつ動物でも、食肉のために屠畜したり、働かせたり、もっとひどい扱いをすることさえもあるのです。
私たちが動物をどのように扱ってきたか、その歴史を振り返ると、私たちが動物にどう感情移入するかがすべてなのだと気づかされる―博士はそう述べています。
動物との関係から学べることは、人間は本能的に、自分たちにとって魅力的な、思い入れのある存在を守り、それらと関係をもち、仲間になろうとするということ。
そしてその一方で、その他の存在を道具や商品として扱うということです。
人間の仲間としてのポジションを与えられた動物がいる一方で、道具や商品として扱われた動物もいる。
ロボットもまた同じように取り込まれていくかもしれないとダーリング博士は述べています。
既に人間は、多くのロボットを製品として扱いながら、ある種のロボットは仲間として扱っています。