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ブタから臓器を移植、研究室で心臓や脳を作る…? 人体はどこまで人工物になっていくのか

iPS細胞の発見などをきっかけに、疾病などで機能が損なわれたヒトの組織を、人体から取り出した細胞や人工物で復活させる「再生医療」の研究や実用化が進んでいます。

国内でも、一部の治療については厚生労働省の審査を経て、保険適用されるようになりました。

最初は皮膚や血管といった比較的シンプルな組織からの実用化でしたが、いまやその範囲が広がり、かつ、使われる素材も様々になっています。

また、AIの「部品」としてもヒトの細胞が注目されています。

ヒトの細胞を操る技術は、いったいどこまで進んでいくのでしょうか。

「iPS細胞」と再生医療のしくみ

わたしたちの体は60兆個の細胞からできていますが、最初は受精卵というたったひとつの細胞から始まります。
受精卵が細胞分裂を繰り返して体はつくられていきますが、それぞれの細胞には最初から役割が決まっているわけではありません。

増えていった細胞の役割は、「その場の雰囲気」のようなもので決まっていくのです。

役割が決まると、それぞれの機能に「分化」した細胞と呼ばれるようになります。


細胞の「分化」
(出所:「再生医療のおはなし」ジャパン・ティッシュエンジニアリング)
https://www.jpte.co.jp/introduction/tales/03/index.html

逆にいえば、分化する前の細胞は、何にでもなれる可能性を持っているということです。

こうした特徴を持つ細胞のひとつがiPS細胞です。
iPS細胞は、すでに特定の役割を持っていても「リプログラミング」できる存在です。これを「何者でもない」状態に戻し、人工的に新しい役割を持たせて利用するという考え方です。


iPS細胞の「リプログラミング」
(出所:「「リプログラミング」がいのちの再生を可能にする。」立命館大学)
https://www.ritsumei.ac.jp/research/radiant/article/?id=94

重度の疾患については臓器移植がひとつの治療方法ですが、他人の臓器を体内に移植することで拒否反応が起きることもありますし、ドナー不足という課題もあります。
しかし再生医療は患者本人から細胞を取って再移植するという意味では拒否反応が起きにくく、ドナー探しよりも手っ取り早い治療方法として注目されているのです。

近年では、ドナーの少ない心臓治療への応用研究が世界で進んでいます*1。iPS細胞を使って心筋を作り出して移植するというものです。

iPS細胞のすごさとは?

iPS細胞以前にも、再生医療は存在していました。「ES細胞」によるものです。

しかし、ES細胞を用いた再生医療には大きな課題がありました。というのは、ES細胞は受精卵から採取したものだという点です。

すでに役割を持った細胞をリプログラミングをするよりも細胞の環境適応力は高いと考えられますが、受精卵を意図的に壊すということについて倫理的な議論があったのです。
受精卵はどこまで命なのか、という問題です。

しかしiPS細胞は、患者自身から取り出せるものであり、この点をクリアしたことで注目されています*2。

ブタからヒトへの臓器移植

2024年4月に明治大学初のベンチャー「ポル・メド・テック」などのチームが発表した技術は、「異種臓器移植用ブタ」の国内生産に初めて成功したというものです*3。

ブタからの臓器移植はアメリカでは2021年から始まっており、もはや「他人」を超えて「異種」からの移植ということになります。
それを、遺伝子操作によって人体に移植した際の拒絶反応を防ぐという手法です。

「ポル・メド・テック」などのチームは、アメリカの企業から遺伝子改変ブタ細胞を輸入し、クローンのブタを作ることに成功しました。

数ある動物の中でもブタが選ばれたのは、臓器の大きさがヒトに似ていること、飼育が容易であること、繁殖期間が短いこと、かつ一度に多数の子を出産するので効率的、という利便性があるためです*4。

遺伝子操作を施したブタからの世界初の心臓移植は2022年1月にアメリカで行われています*5。
末期症状の心臓疾患と診断され、生命維持装置で寝たきりだった57歳の男性に対して行われた移植手術ですが、術後約2か月にわたって、移植された心臓は男性の体内で機能し続けたということです。

もちろんこの手術では、男性の合意を得ています。
男性は術後に、自宅ではなかったものの家族と過ごす時間も得られたということです。

「もし、こんな実験的な手術を受けなければ、男性はもう少しでも長く生きられたのでは?」

そういった考え方も出てくるかもしれません。

しかし移植が男性自身の決断であれば、それは他人がとやかく言うことではないのかもしれません。

ただ、明治大学によれば、近年の日本では、臓器移植の希望者のうち実際に移植を受けられるのは約3%にすぎないといいます*3。これも現実です。

患者の選択肢を増やすというのは、医療のひとつの在り方でしょう。

人工知能ではなく脳そのものをコンピューター化

さて、ここ最近は生成AIが大きく注目されています。

AIは「Artificial Intelligence」の略で「人工知能」と訳される通り、ヒトの知能、つまり脳を機械で再現することが目的です。
それならばヒトの脳細胞を直接使えばいいのではないか、という技術の模索も始まっています。

iPS細胞などを用いて「脳オルガノイド」と呼ばれる「ミニ脳」のようなものを作ってコンピューターに繋げば、ヒトの知能そのものに近づけるのではないか、という理論です。

確かにわたしたちの神経細胞は電気信号で動いていますから、理論的な発想ではあります。
そして、一定の研究結果も得られているようです。

培養で作られた「ミニ脳」が日本語を認識

アメリカ・インディアナ大学ブルーミントン校の研究チームは、シャーレの中で培養された脳オルガノイドをコンピューターチップに繋げた「ブレイノウェア」と呼ばれるセットアップを構築し、AIツールに接続する実験を行いました*6。
脳細胞とAIのハイブリッドといえます。

試験管やシャーレの中で、人間の脳を完全に再現できるとは思えません。
しかし研究者たちが脳オルガノイドに注目するのは「省電力」だという点です。

ヒトの脳はAIのように大量の電力を消費せず、演算も高速です。
世界最高クラスのスーパーコンピュータでさえ、脳活動のわずか1%を1秒間模倣するのに40分間かかったというデータもあります*7。

インディアナ大学の研究で構築された「ブレイノウェア」は実際に、情報処理や学習、記憶ができた上、初歩的な音声認識にも成功したといいます*6。

あるテストでは日本語の母音を発音する8人の音声クリップ240個を電気信号に変換しブレイノウェアのシステムに適用したところ、脳オルガノイドの神経ネットワーク内で信号が生成され、それがAIツールに入力されて解読されました。

当初の精度は高くはなかったものの、システムを再訓練することで精度が向上したといいます。
それでも人工のニューラルネットワークよりは低いものですが、いずれにせよ、脳オルガノイドの神経ネットワークがAIシステムに接続可能であり、機能することは明らかになったようです。

「ヒト」と「モノ」の境界線

人間の細胞を研究室で扱うというのは、ひとえに生物学や医学が進歩し、細胞を「操作できるモノ」という考え方が当たり前になってきたからといえるでしょう。

ヒトの細胞を無機物と接続するという考え方は昔であればありえなかったことですが、その境目は変わりつつあるようです。

「ヒト」と「モノ」の境目はどこにあるのか。

そこに、どのような倫理的土壌が形成されていくのか。

議論の行方は非常に興味深いものです。

注釈

清水 沙矢香

2002年京都大学理学部卒業後、TBSに主に報道記者として勤務。社会部記者として事件・事故、テクノロジー、経済部記者として各種市場・産業など幅広く取材、その後フリー。
取材経験や各種統計の分析を元に多数メディアに寄稿中。

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