すると学校とは疎遠になり、学内に友達はほぼいなくなった。
外に友達がたくさんできたので寂しくはなかったが、あの講座は単位を取りやすいとか、そういう情報を交換できる相手がいなくなってしまったのである。そこは困る。
ただ、なんだか筆者に興味津々でいてくれた女の子がいて、彼女のおかげで、留年しながらもなんとか卒業できたことはありがたい。
なんせ留年した筆者にとっては大学院に進んだ彼女は先輩だし、本当にいろいろ教えてくれた。
だから5年で卒業できた。夜中に外を徘徊する癖は変わらなかったけれど。
ウインドサーフィン?とっくに辞めてるよ。腰痛めたし。
しかしこれが不思議なもので、最低限の単位を取ろうという目的であっても、ある程度の勉強はしたわけで、それが案外いまでも役に立っていたりする。
理系の思考、というか、理系の話題に理解があるというのは強い個性だ。
「在学中にほかのことに興味がいって、学問以外の道に行こうと思うならそれはそれで良いこと。でも、いいから試験で60点だけは取っておいたほうがいい」
みたいなことを京大のある教授が言っていた。
まさにその通りの人生になった。
ちなみに、人生のなかで「お勉強できるピーク」みたいなのが誰にでもあって、それが17歳くらいだった人間はいい大学に行けたりするけれど、大学受験がうまくいかなくていろんなことをあきらめてしまう人は案外多くて、それはもったいないのではないかといま筆者は思っている。
17歳やそこらの年齢の時の過ごし方だけで人生が決まっちゃうこの社会はちょっと悲しい。
学習意欲とか、実際にそれを実現できる「頭の良さ」のピークは人それぞれで、30代だったり50代だったりということもある。
だから、好奇心は捨てちゃいけないというか、若い頃に思い描いた夢はずっと持ち続けていたほうがいいと筆者は思っている。
あ、なぜテレビ局に就職したかというと、「稼ぐ」ことが楽しかった筆者は、テレビ局のアルバイトにもハマっていて、それがきっかけです。それもひとつの出会いだと思っています。