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モテまくった「理学部女子」の末路

大学に理系の学部がある、というのは別に珍しいことでもなんでもない。

しかし理系といっても「医学部」「薬学部」「農学部」「工学部」はなんとなくわかることだろう。あと、「理工学部」としているところと、「理学部」が独立しているところがある。

筆者の母校は後者のパターンだ。そして筆者の卒業は理学部だ。

最近ではITやAIの普及で、工学部はある程度人気なのかもしれない。情報工学とかそういうやつ。

しかし、理学部って…
だいたい「何してるとこなの?」と今でも聞かれる。

正直、筆者もうまく答えられなかった。
「この世の真理を探している」のが事実だが、そんな答えじゃみんな引いちゃうだろうな、と思うからだ。

結局、理学部って何してるの?

理学部って何してるとこなの?
そう思っている人は多いだろうから、まず、なぜ筆者が理学部を志望したかの話から始めようか。

実は筆者は、数学者になりたかった。それで理学部を志望した。
で、なんで数学者になりたかったのか?
とてもピュアな理由である。

高校の数学の授業で、「虚数i」という存在に出会った。
だいたい微分積分あたりで数学を断念する人は多いと思う。でも筆者は違った。
虚数の世界に感動したのである。

おそらくこの段階で「この人何言ってんだ」と思われていると思うが、軽く説明すると、
「それまで世界になかった架空の数字だったのに、そのおかげで、頭のいい人たちがどれだけ悩んでも解けなかったこの世のたくさんの問題が解決されている!」
というところだ。

これってめちゃくちゃすごいことじゃないか。最初に考えた人はすごい。

それでも「この人何言ってんだ」と思われそうなので自慢しておくと、みなさんがご存じの、イヤホンの「ノイズキャンセリング機能」。
これも虚数を含めた計算のもとに成り立ってるんだよ?

このへんにしておきたいが、ちょっとだけ理学部の存在について自慢させてほしい。
数学がなかったら物理学は生まれない。きっとコンピューターだって生まれてない。物理学がなかったら、機械だって建築だって発展してない。
分子生物学が発展しなかったら医学、薬学は進歩しないんだ。そういう世界だ。

それに昔の偉い研究者には、医学と天文学を同時にやっている人もいたではないか。彼らはありとあらゆる現象からこの世の真理を追求してきたのだ。
同じように理学部生は「世界の真理」に向き合っている。わたしたち人間はどこから来たのか。それも、宗教や文学という観念的なものでなく、数字や画像という客観的な道具を使ってこの世の心理や法則を探しているのだ。それがたまらんのだよ。

女子の割合は47人中3人

話が暑苦しくなってしまった。

それはともかく、今はわからないけれど、筆者が入学した頃はどういうわけか理学部には女子がびっくりするほど少なかった。
47人の1クラスに女子3人。
ちょっとやそっとの比率ではない。

すると、何が起きるか、みなさん簡単に想像がつくだろう。逆ハーレムだ。
男子学生からすれば、それはもう大変な競争率だ。

はっきり言って筆者はそれまで、進学校で必死に勉強をして成績トップ争いを繰り広げていたガリ勉ちゃんだったと思う。まあ、純粋に勉強が楽しかったんだけどね。特に数学ね。
そして一流大学の門をくぐったが、最初に待ち受けていたのが逆ハーレム。まあ嬉しい…いや、あまりの状況に一瞬ドン引きした。しかし、そこから筆者の華々しい学生デビューが始まったわけだ。

キャンパスで目を引いた「ドリカム一回生」

さて、九州から京都に出てきた筆者だが、京都に友達などいない。
でも、ほどなくして、同じクラスに最初の友達ができた。
しかもクラスのなかでNo.1、2の、どちらがどちらかなんてわかんないイケメン2人である。大変だ。

いつもキャンパスを3人で歩いていた。
のちに上級生らから聞いたのだけど「ドリカム(3人だった頃の)みたいで目立ってた」そうだ(ちなみに、関西では大学の「一年生」「二年生」とかを「一回生」「二回生」と呼びます。なんでかはしらんけど)。

まあそんな感じなので、まず調子をこく。
「一回生だけどサークル作って、仲間増やそ!」
というものである。

で、何をするわけでもないけれど仲間が数人集まった。空き時間の食堂なんかでダラダラ喋るだけで、結局なんの活動もしなかったけど。

あと、男子3人と筆者の4人で遊びに行った時なぞ、張り切ってお弁当作ったりして。そういうのって、なんかそれっぽいじゃん?

しかし、ほどなくしてそんな生活は終わる。
筆者は今度は、夜のアルバイトにどハマりしたのである。

みんな「頭のいい女性」が好きだよね。

というのにもひとつ大きな理由がある。

筆者は「ウインドサーフィン部」に興味を持って見学に行き、入部することにした。
しかしこれがまた、カネのかかるスポーツなのである。
ボード、セイル、マスト、ブームというセットだけで30〜40万円かかる。そこにウェットスーツやらライフジャケットやらなんやらかんやら。

幸い筆者は、退部するという先輩から中古で道具を引き受けることができたが、もちろんタダではない。20万円でお譲りしてもらった。
お金はある時払いでいいよ、という話だったが、しかしなんか気持ち悪い。

稼ごう。
それで飛び込んだのが夜の世界だった。バニーガールのお店だった。なんでその仕事?と思われるかもしれないが、言い訳しておこう。
なるべく手っ取り早く稼いで、早く先輩にお金を支払ってしまいたいからだ。

時給3000円。これならいける。
それで、何も考えずに始めた。

すると、するとである。確変が起きた。
そこそこ指名が取れるようになったのである。
なんだこれ、おもろ。お酒、いや(年齢的にそう言っちゃいけない)、大人の飲み物もわたしは大の得意だ。
現役京大生がいるということもちょっと話題になった。しかも理系?どんな勉強してんの?となる。

人間、稼げると楽しい。
というわけで、どんどんシフトに入るようになった。
その結果、学校にあまり行かなくなった。

そして「ドリカム一回生」は、なんとなく解散した。
その後普通のバーでも働いたが、京大理学部のカードはかなり強いようで、美味しいものもたくさん食べさせてもらったし。

そんな具合で、夜のバイトから離れられなくなった。

そして誰もいなくなった

すると学校とは疎遠になり、学内に友達はほぼいなくなった。
外に友達がたくさんできたので寂しくはなかったが、あの講座は単位を取りやすいとか、そういう情報を交換できる相手がいなくなってしまったのである。そこは困る。

ただ、なんだか筆者に興味津々でいてくれた女の子がいて、彼女のおかげで、留年しながらもなんとか卒業できたことはありがたい。
なんせ留年した筆者にとっては大学院に進んだ彼女は先輩だし、本当にいろいろ教えてくれた。

だから5年で卒業できた。夜中に外を徘徊する癖は変わらなかったけれど。
ウインドサーフィン?とっくに辞めてるよ。腰痛めたし。

しかしこれが不思議なもので、最低限の単位を取ろうという目的であっても、ある程度の勉強はしたわけで、それが案外いまでも役に立っていたりする。
理系の思考、というか、理系の話題に理解があるというのは強い個性だ。

「在学中にほかのことに興味がいって、学問以外の道に行こうと思うならそれはそれで良いこと。でも、いいから試験で60点だけは取っておいたほうがいい」

みたいなことを京大のある教授が言っていた。
まさにその通りの人生になった。

ちなみに、人生のなかで「お勉強できるピーク」みたいなのが誰にでもあって、それが17歳くらいだった人間はいい大学に行けたりするけれど、大学受験がうまくいかなくていろんなことをあきらめてしまう人は案外多くて、それはもったいないのではないかといま筆者は思っている。
17歳やそこらの年齢の時の過ごし方だけで人生が決まっちゃうこの社会はちょっと悲しい。

学習意欲とか、実際にそれを実現できる「頭の良さ」のピークは人それぞれで、30代だったり50代だったりということもある。
だから、好奇心は捨てちゃいけないというか、若い頃に思い描いた夢はずっと持ち続けていたほうがいいと筆者は思っている。

あ、なぜテレビ局に就職したかというと、「稼ぐ」ことが楽しかった筆者は、テレビ局のアルバイトにもハマっていて、それがきっかけです。それもひとつの出会いだと思っています。

清水 沙矢香

2002年京都大学理学部卒業後、TBSに主に報道記者として勤務。社会部記者として事件・事故、テクノロジー、経済部記者として各種市場・産業など幅広く取材、その後フリー。
取材経験や各種統計の分析を元に多数メディアに寄稿中。

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