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音楽好きが昂じてギター作りをやめられない彼が教えてくれた、とてもとても大切なこと

筆者の知人に、自作ギターをわりと頻繁にSNSに投稿している人がいる。

材を選定し、削り、穴を開けてパーツを組み込み、塗装し、ネックを付け、弦を張る。中には「塗装」と言うよりも、そこに一枚の絵画が完成していることも少なくない。

そして、音にもこだわる。
しかし彼は、売るためにギターを作っているわけではない。
彼が取り憑かれたようにギター作りを続ける理由を聞いてみたら、そこにはものづくり、いや、人間の本質があった。

ギター作りは彼の中で、とっくに趣味を超えているのである。

気がつけば自宅に100本以上のギター

このコラムを書くにあたって、「好きが昂じて自分で作るようになってしまったと言えばこの人だろう」と真っ先に浮かんだ彼に先日電話をした。
彼と最初に出会ったのは、絵を得意とする彼があるカフェで開いた個展の場所である。

子供の頃から音楽好きの彼が描くのは、当然ロックスターを中心としたミュージシャンの数々だ。
紙に鉛筆でスターたちの「一瞬」を捉えた描写は見事である。同時に、彼の音楽への愛も感じる。

そして彼のSNS投稿を見ていると、よく自作のギターの写真がアップされているのである。

(まーた作ったのかよ、この人何なんだ・・・ギターへの愛がやばすぎる)
それが、最初の頃の筆者の印象だった。

しかし仕事の場所などで彼と話すたび、「『ものづくり』に熱狂しているひと」であることがわかってきた。そこで、改めてギター作りについて正面から聞いてみたのだ。
あれだけ作ってどこに保管しているというのか。そんなことにも興味があった。

「ちゃんと数えたことないんだけど、ギターそのものだと持ってるのは家にねー、3桁はいってるかな。もう納戸には収まりきらなくて」
そのうちの30本以上が「自分で作ったやつ」なのである。

(ああ、もうあかん、この人イカれてる)

しかし、正面からギター作りについて聞いてみると、そこにはものづくりの本質といえる彼の思いがあったのだ。

「ないものは作る」のが当たり前の世界で

生まれた頃からスマホがあり、「ノーコード開発」でアプリやゲームも個人で作ることができる時代。それが今だ。
しかし彼が生まれ育った時代はそうではない。
モノが溢れている今とは違う。「ないものは自分で作る」のが当たり前の世界に彼は生まれ育った。

そして筆者も楽器をやる人間なのでよくわかるが、ギターほどカスタマイズしやすい楽器も珍しい。
いろんなものが、本体だけでなくパーツ単位で流通している。
プロアマ問わず、それらのパーツを買って自分のギターを改造する人はわりといる。
楽器というのはパーツ一つで音がガラリと変わる。ギターはそれが顕著な楽器のひとつだろう。

さて、KISSが日本にロックの衝撃を広げ、Deep PurpleやLed Zeppelinなどのハードロックバンドが多くの人の心を魅了していた時代。
彼が最初に自分で手に入れたギターは、高校生のときに夏休みのバイト代全てを握りしめ、都内まで行って買ったグレコの1本だった。
そうやってすっかりギターにのめり込んでいった彼は、時が経ってこんなことに遭遇する。

「パーツがいっぱい溜まってて、それを入れてたダンボールを開けてみたんだよね」

中身を並べてみた。
そして彼は気づく。
これ、ちょっとだけ買い足したら、ギター1本完成するんじゃないか?
そうやってギターを1本組んでみたのが始まりだった。
彼の中にもうひとつの考えがあったのも事実だ。

「絵を描けるんだったら、ギターだって作れるんじゃないか?」

極限状態で生き残れるのは、どんな人?

音をイメージした材を購入し、面取りをし、塗装し、目指す音に見合ったパーツを組み込み、ネックを取り付けて弦を張る。

(写真:ロックレジェンドのひとり“エリック・クラプトン”のレコードジャケットをそれぞれボディにペイントした自作ギター、知人提供)

10年以上、そんな作業を繰り返してきた彼がたどりついているひとつの信念がある。

「人間の意味って、自分の手足で何を作れるかっていうところにあるんだと思ってるんだよね。結局、ものづくりって最後は自分の体でしかできないと思ってる」

自分には何ができるか?そう問うた時、他人が作ったプラットフォームの表面で踊るのではなく、裸の自分の手足がいかにモノをいうか、という考えに彼はたどり着いたのだという。
確かにこれは「ものづくり」の本質だと筆者は思う。「人間の本質」でもあると思う。人間とは何かと考えた時、この考えは的を射ている。

筆者はSNS上でひとつの写真を見たことがある。
海外の、ある建設現場の囲いにでかでかと書かれているのは、
「Hey Chat GPT, finish this building…」
という煽り言葉である。

筆者の中で、少し胸がスカッとしたことは間違いない。

AIやロボットに、いま大きな期待が寄せられている。
もちろんそれらを人間のパートナーとして上手に使いこなす人もいるが、「なんでもできる」ものだと思ってしまっている人がいるのも事実だ。
そんな将来は、いつか来るのかもしれないけれど、AIやロボットがビルを完成させるなんて、そんな時代が来たとしても、筆者が生きている間ではないだろうと思う。

そしてこれは極論かもしれないけれど、氷河期みたいな天変地異がやってきて電気すら使えなくなった瞬間、どんな人間が生き残るだろうか?
間違いなく、自分の手足で、命を守るための何かを作れる人である。

日本は災害大国と言われるが、停電時のライフハックなどがSNSで紹介されているのを知っている人も多いだろう。
まさに、そういうことを思いついて実行できる人だ。

世界は謎の連続だと気づくことの大切さ

もちろん彼は氷河期に備えてギターを作っているわけではない。
ただ、彼はギター作りの面白さをこうも語った。

「ものを作るって、調べたり考えたりしてる時間のほうが長いんだよねえ。でもそれも好きだね」

どういうものを作りたいか決めるまで考える時間。
そして、欲しいと思ったものを作るためには、例えばひとつのパーツが「どうやったらこのパーツがこの音につながるんだろう」、新しいものに出会った時「いったいどんな仕組みでこんなことができるようになっているんだろう」。
そう考え始めると、世界は謎の連続なのである。そして、それを知らないと欲しいものは作れない。
実はこれは、マニアだけの発想ではないと思う。

「ピタゴラスイッチ」系の動画がYouTubeなどでよく出回っている。
ひとつの小さな球を転がすところからいろいろなトリックが働き、トースターを動かし、なんならそこにジャムを塗ったモノが自動で提供される。
これらを見て、「いったいどうなってんの?」と思う人は少なくないはずだ。
しかし多くの人は、途中でその気持ちやシーンを忘れてしまう。
いまのこの世の中には、消費すべきコンテンツが多すぎるからだ。

そうやって他人から提供されるものの渦に溺れ続けてしまうと、実は自分の手足には何も残らない。
自分の手足と頭を動かした人しか、どんな便利な技術も自分のものにはし得ないし、後世には残せない。
そんな当たり前のことを彼は教えてくれたと思う。

なお、彼が最近こまめにやっているのは、「過去に作ったもののメンテナンス」だという。
これは我ながらよくできてるけど、なんでできたんだろう?
そうやって振り返ることでまた、自分のものづくりを進化させていくのである。

いや、これは、文明そのものの進化の歴史のミニチュア版(というと彼に失礼かもしれないが)だと筆者は思う。
この作業なくしてものづくりは進化しえない、というのもまた事実なのである。
そして、そうやって手足と頭を使う人たちのおかげで私たちの生活は成り立っているのもまた事実だ。

清水 沙矢香

2002年京都大学理学部卒業後、TBSに主に報道記者として勤務。社会部記者として事件・事故、テクノロジー、経済部記者として各種市場・産業など幅広く取材、その後フリー。
取材経験や各種統計の分析を元に多数メディアに寄稿中。

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